万年筆の歴史
万年筆の歴史は古く、その歴史は1000年以上前に遡ります。西暦953年、万年筆の原型はエジプトのファーティマ朝カリフであるムイッズのために、手や衣類を汚さないペンとして発明されました。
ここでは、19世紀以降から爆発的な進化を遂げた万年筆の歴史についてご紹介します。
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19世紀:万年筆の誕生と流通
万年筆としての基礎技術が確立し、製品が日本にも流通した時代です。
1809年~:特許取得
イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが初めて特許を取得。それに引き続き、ジョセフ・ブラーマーが同じくイギリスにて別の特許を取得しました。1819年には、リューイスが2色の万年筆を開発し、1832年には、パーカーが自動インク吸い取り機構を開発しました。
1883年~:日本で初めての流通
日本では、1883年に横浜にあったバンダイン商会によって万年筆が輸入され、東京は日本橋の丸善などで販売されました。これが日本での初めての万年筆の流通になります。当時の名前は英語の直訳の「針先泉筆」でした。日本で最初の万年筆の開発者は、同じく、大野徳三郎であると伝えられており、これを当時、大元堂の田中富三郎が日本全体に普及させました。
現在の万年筆と同形のものが誕生したのは直後の1884年のことです。
アメリカの保険外交員ルイス・エドソン・ウォーターマンが、調書にインク染みをつけてしまい契約を取り逃してしまったことから、自身が毛細管現象を利用したペン芯を開発し、新たな万年筆を作り上げました。1895年には、このウォーターマン社の万年筆を、丸善が日本で初めて輸入販売を始めました。
1892年には現在でも有名となったパーカー・ペン・カンパニーが設立されました。
20世紀以降:万年筆市場の劇的な発展
世界各国で万年筆を製造する企業が急増し、それぞれが独自の技術開発を元に、洗練された万年筆が世界中に広まっていく時代です。
1905年~:世界各国での万年筆製造企業の設立
1905年にはイギリスのロンドン・バンヒルロ街にあったデ・ラ・ルー社がオノト万年筆を発売し、1907年にはドイツの港町ハンブルクで商人たちが集まって万年筆の制作を始め、翌年にはシンプロ・フィラー・ペン社(現・モンブラン社)が設立されました。
オノト万年筆は1907年に丸善が輸入販売し、夏目漱石や菊池寛など多くの作家が愛用していたと言われています。
1912年には、アメリカの宝石商W・A・シェーファーがテコ式自動吸入万年筆の特許を取得し、W・A・シェーファー・ペン社が創業。
1918年には、ドイツのゲーブリューダーとハルトマンが事務文具製造会社としてゲーハー社を設立し、32年後に万年筆を販売しました。1919年には、イタリアのイザイア・レヴィがトリノで万年筆工房のアウロラ社を設立しました。
その後も、1925年にはアルマンド・シモンによりオマス万年筆が発売され、1929年にはドイツのペリカン社が、1930年にはアメリカのクロス社が万年筆を発売しました。
1911年~:日本での万年筆製造企業の誕生
ここから日本においても万年筆生産は拡大し、国産メーカーがいくつも誕生しました。
1911年には坂田久五郎が坂田製作所(現・セーラー万年筆)を創業し、万年筆の製造を開始しました。
1916年には並木良輔が純国産の金ペンを完成させ、2年後に並木製作所(現・パイロットコーポレーション)を創業しました。
その翌年、中田俊一が万年筆事業を立ち上げ、1924年に中屋製作所(現・プラチナ萬年筆)を創業しました。戦前の1940年には世界における万年筆生産量の半数以上を日本が生産しており、手紙やはがき、公文書などを書く際の一般的な筆記用具として普及しました。
1939年~:政府による圧力
しかし1939年(昭和14年)、日本国民に対して金製品回収・強制買い上げが公布され、翌年には奢侈品等製造販売制限規則が施行されたことから、高級万年筆が製作できなくなってしまいました。
また、物価統制令により政府が定めた価格以上のものは販売を禁止され、万年筆は1本5円(現在の約1,300円の価値)の公定価格が設定された(1952年までには、ほとんどの製品に対する統制が撤廃されました)。
1963年~:海外万年筆の輸入自由化
戦後の経済復興が進む中、1963年には海外の万年筆の輸入が自由化されました。このときの価格は、パーカーの75スターリングシルバーを例に挙げると、若いサラリーマンの月給に相当するものでした。
1,960年代頃まで手紙やはがき、公文書などの筆記具として主流でしたが、公文書へにボールペンの使用が可能に立ったことで、筆記用具としての主流は万年筆から、より安価なボールペンへと移り代わりました。これ以降、万年筆はその独自性や貴重性などが評価され、趣味の高級文具としての位置づけを確立しています。
実際、1963年の万年筆輸入の自由化以降、マーケットの拡大や製造技術の進歩に伴い、より精度が高く高品質な万年筆の開発が継続しています。1988年にはイタリアのビスコンティ社が設立され、簡単に大量のインクを吸入できる、パワーフィラーと呼ばれる吸入方式を開発しました。
1991年~:万年筆は平成へと受け継がれる
平成へと移り、1991年、スティピュラがイタリアのフィレンツェにて創業しました。価格競争の煽りに伴い、2006年にはプラチナ萬年筆がカートリッジ式の万年筆であるプレピーを200円という安さで発売しました。
このように、激変する時代の中で、万年筆は条約の調印に用いられたり、著名な文学作品を生み出したり、様々な局面で重宝されてきました。現代においてもその有用性は改善され続け、高級文具としての地位を確立しています。