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始まりは1700年代?シャーペンの誕生や起源と歴史

シャープペンシルの歴史

字を書くとき、絵を描くとき、図形を書くとき便利なのがシャープペンシルですが、この文房具の起源や誕生の経緯などをご存知でしょうか?実はいろいろな経緯を辿って現在のシャーペンが作られているのです。

歴史を知ることでシャーペンの選び方も変わってくるかもしれません。こちらではこのシャーペンの起源や作り上げた方々のご紹介をしていきます。

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シャープペンシルの起源と誕生

シャープペンシルの歴史を紐解く

それではシャーペンの歴史を見ていきましょう。その起源はとても古く、始まりに関しては不確定な情報も多いです。現状最も有力な情報をご紹介していきます。

最古のシャープペンシル

現在確認されている最古のシャーペンは1791年に沈没したHMSパンドラから見つかったものだと言われています。そのため実際の発明はこれより前に遡ると考えられます。

沈没時の乗組員は提督を含めイギリス人がほとんどだったため、イギリスで製造された商品であると考察することもできますが、その詳細は定かではありません。

HMSパンドラとは

HMSパンドラとは18世紀イギリス海軍のポーキュパイン級24門帆走フリゲートをさします。イングランド・デッドフォードのアダムズ・アンド・バナード社で建造され1779年に進水しました。アメリカ独立戦争中は北アメリカ方面で任務に就き、1783年の講和後は保管船となっていました。

有名なバウンティ号の反乱の反乱者を南太平洋に捜索し、逮捕したことで知られています。このとき臨時で作られた檻が「パンドラの箱」と呼ばれていました。

その事件以後、1791年にトレス海峡を西へ向かって進む途中、グレート・バリア・リーフの外縁に座礁、8月30日に沈没しました。

このような経緯から進水以後沈没するまでイギリスの所有船として使用され、沈没時にはイギリス人乗組員の所有物の中に最古のシャーペンが含まれていたことから、イギリス発祥なのではないかと推察されます。

シャープペンシルの製造

シャーペンの製造ではっきり分かっているのは、1822年にイギリスのサンプソン・モーダンとホーキンスが共同で特許を得た繰り出し鉛筆です。これが確認できるものの中ではシャーペンの機構の元祖と言われています。

次いで1837年にアメリカのキーランが「Eversharp Pencil(エバーシャープペンシル)」の名で商標申請を出しています。その後製造し発売したものが実用筆記用具としてのシャーペンの最初の商品とみられています。

その後、ドイツのクルップ社が、その製造力にものを言わせて大量生産を開始し、日本にも1877年(明治10年)前後に初めて輸入されました。

その後ユダヤ系クロアチア人のスラボリューブ・ペンカーラは1906年にオートマチックペンシルと名付けたシャープペンシルを開発します。その翌年1907年には世界初の固体インクの万年筆を発明したことによりシャープペンシルの父の1人とも考えられています。

日本におけるシャープペンシルの歴史

日本でのシャープペンシルの製造

ドイツ及びアメリカからシャーペンが輸入されると、日本人は手先の器用さを発揮して1879年(明治12年)頃、当時の東京浅草向島方面で貴金属類の細工を生業とする飾りの職人による手工業的な制作方法で模造製作されるようになっていきました。

日本のシャープペンシルの草創期

当時のシャーペンはその使用資材がいずれも銅、鉄などの金属類、あるいはセルロイドなどの樹脂類、軸に山水、花鳥等の彫刻を施した工芸品的なものが多く、大正期に入ってそのシャーペンが輸出されるようになると、諸外国に喜ばれたそうです。

シャーペンがこのように純然たる手工業的な製造方法から、プレス加工等による機械的な方法によって生産されるようになったのは1902~1903年(明治35~36年)頃からです。

この時代は、1901年に八幡製鉄所の前身である官営製鉄所が操業を開始しました。それだけ日本は技術的にも発展し、殖産興業に力を入れていたことが伺えます。シャーペンもその煽りを受けた1つであるといえます。

その後10年ほどで、東京の向島、浅草、葛飾付近を中心としてシャーペンの製作を専門とする小工場が多く立ち上がっていきました。

現代のシャープペンシルの雛形が誕生

1915年(大正4年)、当時金属加工業を営んでいた早川金属工業の創業者で錺師(かざりし)である早川徳次が、本業の傍ら金属製繰出鉛筆を発明、その名を「早川式繰出鉛筆」として特許を取得しました。

この発明はまさに現在の実用性が高いシャーペンの雛型となりました。これ以前の繰出鉛筆は大量生産の関係から、先述通り素材にセルロイド製を使用しており、非常に壊れやすくなっていました。工芸品としての側面が強い日本製のものも、その例に漏れませんでした。

しかしこの発明によりシャープペンシルは実用に耐えうるものになりました。徳次は既に基本として内蔵された「回転させることによって芯を出す」という回転式の機構を活かしつつ使用に耐えうるように改良したのです。

錺師としての器用さと凝り性を発揮させ、持ちやすいように細くしてボタンの中に精巧な仕掛けを施し、材料にもニッケルや真鍮など、十分見栄えのするものを使いました。これが、これまでにない耐久性と当時にしては使いやすい構造となったのです。

初期のものは1.15mmと使える芯が太いという欠点がありましたが、翌年1916年(大正5年)に芯をさらに細くしたものに改良しました。このとき製品につけられた名称が「エバー・レディ・シャープ・ペンシル(Ever ready sharp pencil)」と言い、現在のシャープペンシルの名称の由来となっています。

この名称の発端は徳次ではなく、彼の知り合いで当時海外製のシャープペンシルを輸入し販売していた福井商店の福井庄次郎が、輸入時に「シャープペンシル」と名付けており、そこから徳次は自社製品にも付けたことに由来します。

>>シャーペンの名称についてはコチラ

日本製シャープペンシルの世界的な評価

早川式繰出鉛筆は販売開始当初は売れなかったようですが、海外から多くの注文が入るようになりました。それだけ実用性が高いシャーペンとして革新的な出来だったと見受けられます。耐久性が上がっていることは海外としては何よりも有難いことだったのかもしれません。

その後徐々に国内でも評価され売れ行きを増していきました。

早川金属工業のその後

この製品のヒットにより、当時は先駆的な試みだった流れ作業を工場に導入し、会社の規模も従業員数が200名を越えるほどになりました。

しかし1923年関東大震災が発生し、本人は九死に一生を得るも家族と工場を失いました。残った債務返済のため、シャーペンの特許を日本文房具(現ぺんてる)に売却し、一文無しとなります。

徳次は心機一転、拠点を大阪へと移し、1924年に早川金属工業研究所を設立しました。これが現在の家電製造メーカーである「シャープ(Sharp)」です。つまり革新的なシャーペンの開発が彼のその後の人生を大きく変え、そして新天地として作り上げた場所の名の由来となったのです。

徳次が作った初代シャープペンシルは現在もシャープ株式会社で保管されています。

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技術革新による進化

技術革新による進化

大正末期から昭和10年ごろまでは、日本のシャーペン製造業界は順調な発展を遂げ、東京を中心に全国で100以上の工場がありました。

しかし昭和12年の日中事変の勃発により、海外各地で排日運動が起こり輸出量が減少し、同時に国内では物資の統制もあり生産量は著しく減少していきました。

太平洋戦争中は価格統制令等の規制や原材料の不足、徴兵による労働力不足によって生産はストップし、東京大空襲などで多くの工場が消失してしまいました。

シャープペンシル製造の再興と進化

日本の製造業は戦後の焼け野原から再出発することになりました。戦後はしばらくシャーペンの国内需要は戻ってきませんでしたが、焼け残った工場で生産を再開したシャーペン生産者は、海外への輸出を伸ばすことにより徐々に復興をしていきました。

この業界の一大転換が2つの技術革新によって起こることとなります。

シャーペンが誕生した当初からその構造は回転式でした。徳次が作り販売したシャーペンも回転式です。この回転式が、現在のノック式に変わったのが昭和30年代になります。

不思議な話ですが、一大転換にも関わらずノック式の発明者や正確な時期などは明確になっていません。1960年(昭和30年)頃に国産メーカーによってノック式が開発された程度の事しか分かりません。

戦前までは鉛筆の芯に近い2mm前後のものだったものが一般的で、戦後になるとドイツから輸入された0.9mm芯が中心として使われていくことになります。

しかしそれはあくまで回転式の芯としてで、0.9mm芯のノック式はあまり広がらなかったようです。とは言え、このノック式の開発はシャープペンシル業界における一大転機の要因として、1つ目の技術革新となりました。

シャープペンシルに使われる芯の変化

1960年当時、大日本文具(現ぺんてる)が、これまでの黒鉛粘土芯に替わる0.9mmのハイポリマー芯(高分子焼成芯)を開発します。それまで鉛筆と同じ粘度と黒鉛を練って焼いた芯を使用していましたが、技術的に細い芯が作れず強度も不十分でした。

ハイポリマー芯は、高分子有機化合物を黒鉛とよく練り約1000℃で焼き、焼成中に有機物の結合剤が分解して炭化するため、焼きあがった芯全体が炭素の塊となります。

かなり専門的な内容になりましたが、簡単に言えば黒鉛に混ぜられた有機化合物が高温で焼かれることによって黒鉛の元となる炭素原子の結合を強めつつ、結合剤は黒鉛同様炭素の塊となるため、全体として丈夫な芯が出来ると言うことです。

名称のハイポリマーが高分子を表しており、高分子有機化合物を混ぜているためハイポリマー芯と呼ばれているのですね。

粘土芯に比べて滑らかで強度が高く色が濃いという特徴を持ち、より細い芯でも作ることが可能となりました。これにより作られたのが先述の0.5mm芯となります。つまりこの芯素材の開発が2つ目の技術革新となったわけです。

0.5mm芯が開発されたことによりノック式の人気に火が付き、広く普及することとなりました。この2つの技術革新が業界の再興とシャーペンの人気を爆発的に進めたわけです。

>>シャーペンの芯とは?硬さや太さを徹底解説!

現在の一般化を推し進めたもの

現在は様々なシャーペンが売られていますが、その価格は様々です。手に入れやすいものでは100円以下のものもあれば、高価なものだと数千円するものもあります。

しかし普及しだした当初はシャーペン自体高価な物でした。それまでは金属製で、2000円台が中心価格となっていました。子供や学生では手が出ず、大人が持つ文房具として普及していたのです。

それを大きく変えたのが文房具メーカーの1つであるゼブラでした。低価格商品を実現したのは本体を金属製からプラスチック製にしたことに起因します。

今ではこのプラスチック製が一般となり、現在の隆盛に繋がっています。このゼブラの低価格化以降、各社はプラスチック製のシャーペンを次々に開発し、さらに様々な機能を持たせるようになりました。

ノックボタンが本体側面についているサイドノック式、芯が自動で出てくるオートマチック式、最後の残り芯の問題を限りなくゼロに近づけたものなど構造の特徴を持たせていきます。

その様々な特徴と利便性がシャーペンのブームを生み、一般的な文房具として普及していったわけです。

シャーペンに起こった変化を年表にまとめると以下のようになります。このことからも誕生から200年以上の歴史があることが分かります。

出来事
1791 HMSパンドラの中から最古のシャーペンが発見される
1822 イギリスのサンプソン・モーダンがシャーペンを発明、特許を出願
1837 アメリカでEversharp Pancilの名で商標申請
1877 日本にシャーペンが伝来
1906 ユダヤ系クロアチア人のスラボリューブ・ペンカーラがオートマチックペンシルと名付けたシャーペンを開発
1915 早川徳次が金属製の「早川式繰出鉛筆」を開発し特許を取得
1960 大日本文具がハイポリマー芯を開発
同時期にノック式機構のシャーペンが開発される(詳細は不明)
1980 ゼブラが1本100円のプラスチックシャーペンを開発し低価格化を実現
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